輪廻のラグランジェ Season2 第十一話 「鴨川の海の向こう側」



「輪廻のラグランジェ Season2 」 の第11話。
原作・制作協力:Production I.G、総監督:佐藤竜雄氏、監督:鈴木利正氏、シリーズ構成・脚本:菅 正太郎氏


「鴨川の海の向こう側」 シナリオ:野村祐一氏、絵コンテ:五十嵐紫樟氏、演出:うえだしげる氏




“輪廻” に関する伏線の回収は一先ずここまで、ということになりそうなので、とりあえず適当に妄想します。


『輪廻とは、人の心に通じる場所』
『その地とこちらの世界の橋渡し ―― インターフェイスであるウォクスが、二つの世界の行き来を認め、与える証こそがメモリア』


『私は気づいたのです』
『メモリアを与えられた人間と、ウォクスとの契りが強ければ強いほど、その人間の心が、より深く輪廻の力に転化されることを』
『そしてここに感じたのです。偉大なる何者かの意思を』


輪廻が通じている “人の心” というのは、特定の誰かの心ではなく、誰の心にでも通じてるものということでいいんでしょうか。
モイドは、 「彼の者の声」 、「偉大なる何者かの意思」 を感じたと言っていますが、作中ではそれらしき存在は登場していない
と思うので、モイドが感じているのは、自分自身の内なる声とか、その類のことを言ってたりするのかな。


その “輪廻” への橋渡しとなるウォクス (VOX) は、ラテン語で 「声」 を意味する単語であり、輪廻の向こう側とこちら側の
“境界” に在るもの。輪廻に通じた人の “心の声” を伝えるのがウォクスの役目、とでも考えればいいのかな、と。


まどかはコックピットの中で、ランやムギナミや鴨川の人々の声などを聞いてましたが、あれが人の心をウォクスが橋渡しして
いた、ってことでいいんでしょうか。ただ、まどかが輪廻を開いた時は、声だけではなくユリカノの葛藤する姿や、ディセルマインと
ヴィラジュリオの過去などを視覚としても見ていたので、輪廻を開くことでより心の奥まで見えるようになるのかもしれませんね。


言うなれば、「輪廻を開く」 = 「心を開く」 ってところですか。


でも、ランやムギナミは、輪廻を開いたこともありませんし、まどか以外の声も聞いていないようなので、メモリアするだけでは
「輪廻を開く力」 は得られない、ということですかねぇ。その辺りが 「ウォクスとの契りの強さ」 に関係してくる、ということなのか。


「契り」 とは、「約束」 や 「誓い」 という意味ですが、以前ランがまどかに、『あなたは昔、この機体と約束したことがある筈よ』
と言っていたので、「契り」 = 「約束」 という意味でいいんだと思います。そしてその 「約束の証」 こそがメモリアであり、契りが
強ければ強いほど、人の心が深く輪廻の力へと転化されるのではないかと。



しかし、「契りの強さ」 というのは、一体何で変わってくるのか。


今までウォクスとメモリアしたのは、メイクン、ユリカノ、ディセルマイン、まどか、ラン、ムギナミ、そしてヤン・デ・シハ・サヌ。
メイクンは戦乱の世を鎮めるために、ユリカノは自分の力を封印するために、そしてランとムギナミは、大切な人の力になりたい
と願って、ウォクスと契りを交わしました。ディセルマインが、民の安寧と復讐のどちらを願ってメモリアしたかはわかりません。


そう考えると、「契りの強さ」 とは、そのまま 「願いの強さ」 と置き換えられそうでもあるのですが、そう考えると問題になる
のが、他ならぬまどかです。まどかがアウラと交わしたとされる約束は、『いついかなる時も心を預けあう “同志” となること』
でしたが、まどかはメモリアする時、一体何を願ってアウラと同志になることを誓ったのか。


ただそれは、まどかが母親の亡くなった海に向かって、毎日願っていることなのかもしれませんね。
『今日も明日も、みんなと幸せでありますように』


もう一人のサヌについては、「暁月のメモリア」 が佳境に入っているようなので、そちらで明かされるのかと思います。


輪廻の世界を行き来できるのは、ウォクスにメモリアされた人間だけとのことなのですが、「風と火と水と鴨川と」 でも言われて
いたように、メモリアは誰にでも出来るものではありませんでした。そこでモイドは、その身に強制的にメモリアを施そうとした
ものの、最後まで 「彼の者の声」 を聞く権利を与えられることはなかったようです。


人の心に通じるためには、人の心を持たなければならない。しかしモイドには、「人の心」 と呼べる物の無いために、メモリアが
降らなかったのかもしれません。ウォクスが人の心を映す鏡ならば、映すべき心を持たぬ者に、証を与える筈も無いのだから。


そして、ディセルマインの体にも、モイドと同じ紋章のメモリアが強制的に施され、こちらはマグオルトルと契りを結ぶことが
出来たようです。体に紋章が複数刻まれているのは、強制的にメモリアするために、一つでは足りなかったということなのか。



視覚的なものでは、輪廻の世界に触れると現れる結晶のようなものが何なのか。今回は鴨川のトンビやレ・ガリテ兵が、輪廻の
世界に触れた瞬間、結晶化して崩れてしまいましたが、「心に通じる世界」 である輪廻では、メモリア (証) を持たない物質は
形を保てなくなって結晶化する…とか?ただ、結晶の色に赤や白や緑の違いがあるのが、何らかの意味がありそうですけど。


それに、「鴨川エクスペリメント」 でも出現した、赤い結晶化したオービッドらしきもの。今回は次々に現れては、ディセルマイン
のマグオルトルに取り込まれていましたが、輪廻が人の心に通じる場所なら、人の心に巣食った憎悪や怨嗟などの感情が、
輪廻を通じて具象化したようなものでしょうか。それとも、ディセルマイン自身の憎しみの心から、作り出されたものなのか。


まぁ、それがオービッドの形をしてる理由はわかりませんけど、あれを取り込む度にマグオルトルが巨大化してたのを見ると、
ディセルマインは数々の負の感情を取り込んでしまい、それに飲み込まれてしまったのかな、と。「鴨川エクスペリメント」 で、
ユリカノがまどかに対して怒りの感情をぶつけたのも、あれを取り込んでしまった所為だと考えれば、一応納得は出来そうです。


ただ、まどかは緑色の結晶を武器に変換して使ってましたし、ランとムギナミの足元にも武器が突き刺さってましたが、あれは
三人の 「戦う意志」 に反応して、作り出されたような感じでした。そう考えると、輪廻はやはり “心” の在り方によって、その姿
を如何様にも変化させるということなのかな。


輪廻の世界そのものが、ユリカノと会った時と違って、荒んでいるように見えたのは、ディセルマインの心がより深く輪廻の力に
転化されていたからでしょうし、三人娘がずっと背中合わせで戦っていた他の二人の姿を見失っていたのは、お互いの “心” を
見失っていたからなのではないかなと。だけど、浩の弁当によってお互いを強く意識した途端、すぐに見つけ出すことが出来た。


そして、心の平穏を取り戻すと同時に、足元にはラグランジェの花が咲き誇る。その花言葉は、自由、魔力、慌て者。
「Flower declaration of your heart」 ―― あなたの心の開花宣言。


心の花が閉じた時、世界は憎悪の声を上げ、心の花が開く時、世界は歓喜の声を上げる。



古代レ・ガリテ王国の女王メイクンは、腹心たちの裏切りに遭い、自ら輪廻の花を閉じてしまいました。
「全てが始まる場所であり、全てが帰る場所」 と名づけられた、ウォクス・イプシエンスの暴走を引き起こして。


心の淀みを与ふれば、まなしに寝覚め鬼は立つ。伝説にある三体の大鬼は、実はたった一人の “心” から生み出されたもの。
「女王としての自分」 、 「女としての自分」 、そして 「こうありたいと願う自分」 。それらメイクンを支配していた三つの “心” が
複雑に絡み合った結果、大きくかき乱された心は輪廻を開いてしまった、と。


しかし、花が咲き終わり新しい種が蒔かれるように、女王メイクンが最後の理性で、イプシエンスという花から蒔いた三つの種、
アウラ、リンファ、イグニスという種は、二万年という時を経て、美しい輪廻の花を咲かせることになりました。一つの心が三つに
引き裂かれるのはとても辛いことでも、三つの心が一つに纏まるのはとても楽しいこと。


『1では支えられない、2では分裂する、3で初めて安定する』


メイクンが輪廻の世界から帰ってくる時に、ノウムンドゥス財団会長の曾孫・アステリアとして転生したのは、偶然なのかどうか。
ノウムンドゥス財団は、200年以上前からオーパーツを発掘して研究していたようですが、メイクンが 「ミリティア・ゾデアの惨劇」
を引き起こしたユリカノと入れ替わりで、輪廻の向こうから戻ってきたのはつい最近のことだと思います。


さすがにウォクス・コアを三つ揃えていた、ノウムンドゥス財団会長の曾孫に転生したのが偶然なんてことは無いと思うので、
当時10歳 (?) だったアステリアの “器” に、割り込むように転生したとでも考えればいいのか、それとも輪廻の向こうから
戻る時に、ある程度過去に戻って転生することが可能だったとかなのか。


それ以前に、アステリアは会長の曾孫を 「名乗る」 少女と紹介されているので、実は全然繋がりが無い可能性もありますけど。
その場合、どうやって曾孫になりすましているのかはわかりませんが。


しかし、輪廻の世界に閉じ込められていたわけではないモイドが、二万年という時をどうやって越えて来たのかはわかりません。
まぁ、これは最後まで語られないような気もしますが、逆に輪廻が開かれるまで、二万年も待ち続けたことの方が気になります。
二万年もの間、「彼の者の声」 を聞かせてくれる可能性がある人物は一人も現れなかった、ということなんでしょうか。



『勝てなかった。絶対に倒さなきゃなんなかったのに。じゃなきゃ、ランのお兄ちゃんが正しいってことになっちゃうのに』


最初まどかたちは、憎しみの心に囚われたディセルマインを止めるために、怒りや憎しみの心を持って対抗しようとしました。
しかし、心に通じる世界で同じような感情を持って戦えば、より強い憎しみの心を持った相手に、三人が勝てる筈もありません。


『私には、ラン兄の気持ちわかる気がする』
『ランとムギナミが私の同志なのと同じ、ラン兄はジュビ兄を同志だと信じてたんだもん』


だから、この世界で最も必要になるのは、相手の “心” を理解すること。心を落ち着けて、この世界の “声” に耳を澄ませば、
ディセルマインの本心を聞かせてくれる筈。そこで初めて、ディセルマインが自分たちと同じ “心” を持っていたことに気づく。


それは、ポリへドロンの平和を願い、ヘコむのも、笑うのも、ヴィラジュリオと2人いっしょの 「ジャージ部魂」。


2人では分裂してしまった心も、3人ならば安定する。同じ 「ジャージ部魂」 で戦えば、ディセルマイン1人の心に、ジャージ部の
3人の心が負ける筈もない…ということで、ディセルマインの剣から放たれたビーム攻撃を、すかさずピアサー形態にチェンジして
かわす所から、ウォーリア形態に戻って三人で力を合わせた白羽取りをする流れは、メチャメチャ格好良かったです。


そして最後は、まどかお得意のプロレス技を、三人の合体攻撃で行うという、初めての共同作業。別に初めてじゃないですけど。
三人一緒の掛け声が、『おんなじ〜〜〜!』 というのには、ちょっと笑いましたが、ラグりんらしい決め方で良かったと思います。


地上では、荒ぶるモイドを黙らせたのも、ようこ姉ちゃんのグーパンチでしたしね (笑)。



さて、いよいよ次回は最終回ということで色々妄想して来ましたが、我ながらどこまで理解出来ているのやらです。
まぁ、伏線などは全部が全部回収する必要も無いと思いますし、想像する余地が残されてるからこその楽しみ方もあるので、
最後はまどかがどんな進路を選んだのかを見せてくれれば、綺麗にまとまるんじゃないかな、と。



まるっ。



―― 第十一話 「鴨川の海の向こう側」 (了)




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